2013年2月26日火曜日

忘れられぬ悲しみ















大切な人を失った悲しみ。

特に、死という事実が愛する二人を分かつ時、残された者の悲しみは、否、残しつつ去って行かなければならない者の悲しみも、また、切ないものであろう。

先ほど見たTVで、ラモス・ルイのお話をはじめて知りました。

彼は、一年半前に最愛の奥様を亡くしておられるのですが、彼女を死に追いやったのが、癌。それも肝臓に集中して転移を為す、最も重い病名のひとつ。

医者から宣告された余命は、ひと月たらず。
そして、夫妻がその後実際に過ごした時間は、わずか10日ばかり…


奥様は、それまで病気という病気もしたことがなく、健康そのものだったそうで、あまりにも突然に告げられた残酷すぎる死の告知は、彼を絶望の淵へと追い込んでしまったのだそうです。

いちばん迷ったことが、奥様に病名を告げるかどうかということ。

ラモスが下した決断は、本人にもそして子供たちにも一切明かさないということでした。
それは…(こんなに苦しんでいるのに、どうしてそれ以上苦しませなきゃならないの!)ということでした。

奥様と過ごす病室での最期は、始終笑顔で過ごしたそうです。
それはかつて、ラモスが足の複雑骨折をした時に、再起不能かという絶望の淵から、奥様の献身的な笑顔によって救われたという恩に報いるべく、彼もそうしたかったということ。

番組の内容は、それほどまでに強いきずなで結ばれたお二人であったからこそ、1年半経っても乗り越えられないラモスの深い悲しみをケアするというものでした。


近年、何人もの芸能人の深い心の傷を癒してきた、心理カウンセラーの先生が、彼と向き合うと、彼が言った言葉は、
「僕は、乗り越えようとは思わない。どうして乗り越えなきゃいけないんだ。よくみんな、元気だせよとか、もう前を向いて歩き出せよとか言うけれど、なんでそんなことしなきゃいけないんだ。そう言っている人は、『愛してる』ってそれだけなの?僕は違う。彼女のことを愛しているから、彼女のことを決して忘れないし、絶対に再婚しない。僕は、今でも彼女が好きだし、僕が死んだら絶対におんなじお墓に入るんだ。絶対に忘れはしない!」って。

僕は、ラモスという人をあまりよく知らなかったけれど、なんて人間味のある人なんだと思った。現代の人はすぐに、プラス思考だとか、頑張ることとか、泣き言を言わないとか、そんなふうに教育、そう思うことが良いという風潮がまかりとおっているから、僕は嫌だね。ラモスのが、まともだ。そうでなければならない。ダメだったら次とかね、決してそうはならない。まぁ、僕みたいのがめそめそしていたら、周りは目くじら立てて、女々しいとか言うのかもしれないけれど、ラモスがこれだけ愛に、命に苦しんだ事実を知れば、大切な人のことをいつまでも思い続ける気持ちのことを、決してバカになど出来ないでしょう。

先ほどのカウンセラーの先生が言われたことも、「そうなんです。ラモスさんが先に言われたから僕は驚いてしまったけれど、無理に忘れよう、前に進もうという言葉は、かえって本人を苦しめるんです。だから僕は、ラモスさんに今日、無理に忘れようとなんてしないでくださいというたった一言を言いに来ました。今日こうしてラモスさんの言葉が伝えられることで、何が大切なことなのか多くの人が学ぶことでしょう」とおっしゃっておられました。

私は、永遠の愛を信じます。

それこそが、この世の真理。
それこそが、唯一、この世で絶対に正しいことです。


夢千代