【反省とは】
正しいことをしたのだったら反省してはいけないという方がいるが、それは間違いだ。
私の言う反省とは、何もくよくよしろということではない。
過去を悔やんでも仕方ないことだ。
『覆水盆に返らず』
この歳になって、誰が自分のやってきた人生に後悔などするものか!
ただ、各界のプロでも毎回反省するのはなぜか?
それはさらなる高みに達するが為である。
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ここで、先の戦争について言及しておきたい。
仕切りに、戦争が悪いことという風潮が万延しているが、戦争とは良い悪いでなくしかるべく起きてしまうものなのである。
先人はなかなか優秀な人物が多い。それでも私たちがあの時代の世界にタイムスリップしてどうこうしたところで、やはり戦争は起きるであろう。
では、反省はないかと言えば、決してそうではない。ただ、世論で騒いでるような反省とは意味が違う。
ただ喚いているような人間の話はまともに聞いていられない。それならばなぜ静かにそのことを祈ろうというしないのか。
どうしたら世界から戦争というものを本当に無くせるのか、もっと画期的な良い方法があるのではないか?
それをあらためて考えることが、私の言う反省である。
そのためには、世界中の歴史、風習、民族、信仰、地理、経済、あらゆる知識が必要になるはずである。
yumechiyo
2016年8月19日金曜日
2016年8月12日金曜日
知るという字(知識の「知」)
知るという字に、そんな深い意味があったのですね😌知りませんでした。
ねずさんのひとりごと(天皇のシラス国)より
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3109.html#trackback
yumechiyo
ねずさんのひとりごと(天皇のシラス国)より
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3109.html#trackback
天皇は、その神々の直系のご子孫であり、神官のなかの大神官です。
ですから我が国では、神々との最大の窓口が天皇です。
神々との窓口ですから、そのお言葉は神々のお言葉、ご決断は神々のご決断です。
ですから天皇は我が国の最高の権威です。
そして民衆は天皇の大御宝となります。
これが日本の古代から続く基本となるカタチです。
このことを、古い大和言葉でシラスといいます。
シラスは、漢字一文字で「知」と書きます。
「知」という漢字は、「矢」と「口」から成り立ちます。
ここでいう口は、人間の口のことではありません。神器としての盃です。
矢と盃を神棚にあげ、そこに神様にご降臨していただくのです。
なんのためにご降臨いただくのかといえば、神々に感謝するためです。
「知」という漢字は、昨今ではただ「知識を得る」といった意味だけに矮小化されて使われています。
もともとは、神々にご降臨いただき、神々に祈りを捧げ、神々と通じることを意味しました。
つまり神々の知恵を得ることが「知」の意味です。
ですから「知=シラス」は、神々とつながり、神々の知恵を得て、神々のご意向に沿うことを意味します。
神々のご意向に従うことを、古い大和言葉で「神々の隨(まにまに)」といいます。
yumechiyo
2016年8月11日木曜日
A級戦犯と靖国神社参拝について
A級戦犯って、凄く悪い人なの?
いいえ、この場合のABC場合、日本でいう甲乙丙と一緒で、あまり違いは認められません。
そもそも「戦犯」なんて、いませんでした😌
「ひめのブログ」様 より
■A級戦犯は日本に存在しない。歴史も知らない議員やマスコミ。
http://ameblo.jp/000hime/entry-10565351947.html
yumechiyo
いいえ、この場合のABC場合、日本でいう甲乙丙と一緒で、あまり違いは認められません。
そもそも「戦犯」なんて、いませんでした😌
「ひめのブログ」様 より
■A級戦犯は日本に存在しない。歴史も知らない議員やマスコミ。
http://ameblo.jp/000hime/entry-10565351947.html
yumechiyo
2016年8月9日火曜日
神道とは
【神道】
神道とは、単なる宗教ではない。
日本人にとっての元来の風俗、習慣、価値観、そういったものを後年、仏教の渡来により、神道と名付けたに相違ない。
70年前の戦争によって、神道も、また日本の大宮司であられる陛下も、いっとき、まるでその存在自体が罪であるような実に嘆かわしい屈辱的な汚名を被る受難の時代があったが、いま、こうした情報化社会の中において、日本人が日本人たることの素晴らしさは国内のみならず、広く海外においても認められていることは周知の事実である。
ここに来るまでの大切な一端を担ったのが、私の恩師、故中西旭先生が会長を務めていらした、神道国際学会である。
神道国際学会HP
http://www.shinto.org/wordjp/?page_id=2
yumechiyo
象徴とは?
【象徴】
象徴とは、質量がゼロということである。
しかしそのゼロという点が無ければ、国は均衡を保つことが出来ない。
ちょうど「扇」の「要」の位置におられるのが、我が国の天皇陛下である。
宇宙(そら)で言えば、北極星であられる。
「日本が日本たる所以は皇室の存在にある」
yumechiyo
象徴とは、質量がゼロということである。
しかしそのゼロという点が無ければ、国は均衡を保つことが出来ない。
ちょうど「扇」の「要」の位置におられるのが、我が国の天皇陛下である。
宇宙(そら)で言えば、北極星であられる。
「日本が日本たる所以は皇室の存在にある」
yumechiyo
2016年8月4日木曜日
負の遺産
【負の遺産】
親の世代特有の美意識というか、作られた正義みたいなものがあって、良く言えば協調、悪く言えば没個性妥協主義、その様に教育されてしまったみたいですね。
戦争を嫌うと言いながら、大量生産型の軍隊教育とあまり変わらなかったように思います。
その規範に合わぬ者は、落ちこぼれ、敗者、人としての人格さえ否定される。
先代は、良いか悪いかは別として、力づくでそのように物質的社会を急速に発展させていきました。見た目が個性的な者への差別もかなりあったろうと思います。
私たちの世代では、その様に自然に逆らって歪められた個人、個性の尊重と、経験と許容範囲の豊かなリーダーの育成、仮や偽りでない正しい歴史と世界の情報を次世代に伝えていく役目を担っているのです。
イミシン様より
レジ係がスーパーにいる客みんなの前で髪の毛の色が派手な若い女性を侮辱した。
彼女の反応に涙が出そうになった。。
https://www.facebook.com/imishin.jp/videos/820147068087525/
yumechiyo
親の世代特有の美意識というか、作られた正義みたいなものがあって、良く言えば協調、悪く言えば没個性妥協主義、その様に教育されてしまったみたいですね。
戦争を嫌うと言いながら、大量生産型の軍隊教育とあまり変わらなかったように思います。
その規範に合わぬ者は、落ちこぼれ、敗者、人としての人格さえ否定される。
先代は、良いか悪いかは別として、力づくでそのように物質的社会を急速に発展させていきました。見た目が個性的な者への差別もかなりあったろうと思います。
私たちの世代では、その様に自然に逆らって歪められた個人、個性の尊重と、経験と許容範囲の豊かなリーダーの育成、仮や偽りでない正しい歴史と世界の情報を次世代に伝えていく役目を担っているのです。
イミシン様より
レジ係がスーパーにいる客みんなの前で髪の毛の色が派手な若い女性を侮辱した。
彼女の反応に涙が出そうになった。。
https://www.facebook.com/imishin.jp/videos/820147068087525/
yumechiyo
2016年8月3日水曜日
男と女(差別と区別は違う)
【男と女(差別と区別は違う)】
甲子園のマウンドに、野球部の女子マネージャーが降り立つことを問題視されたことに、騒ぎになった事件がありました。
しかし、男と女のはっきりとした違いというものがあります。
私は、占いを通じて出会ったお客様から、男と女の立場を同様にしてはならぬとはっきり確信しました。
こういうことは、男性の立場がいかに正論を言っても聞き入れられぬ風潮があります。杉田さんに感謝します😌
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「成らぬものは成らぬのです。」
で、良いと思います。今も昔も危険な事には違いない訳ですから。
大体、女の子が居たら、男の子は本気でボール投げれないでしょう。試合前の大事な練習です。...
時代錯誤とかそんな問題ではないと思います。
杉田水脈様のコメントより
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「女子をグラウンドに立たせられない理由 感情的でなく、建設的な理論を」
デイリースポーツ 8月2日(火)20時10分配信
近年、女子部員の数は増えてきた。女子プロ野球も発足し、硬式野球に取り組む土壌は確実に形成されてきた。今回、大分の女子マネジャーがグラウンドで練習補助を行い、大会関係者に制止された一件。日本高野連は安全面の配慮と説明したが、その裁定に納得できる部分はある。
【連続写真】ユニホーム姿で髪をかきあげる…クルクル変わる表情は普通の女子高生
それは硬球が一歩間違えば生命を奪う“凶器”となりえるから。高校時代、チームメートが練習試合で右目に打球を受け、視力が著しく低下した。一塁手で左打者が痛烈に引っ張った打球が捕球目前でイレギュラーしたことが原因だった。すぐに救急搬送され、処置を受けたが、チームメートは野球をあきらめざるを得なかった。
過去には打撃投手が痛烈なピッチャーライナーを受け、帰らぬ人となったケースもある。日本高野連はその都度、ヘッドギアや打撃投手用の防具を導入するよう推奨してきた。打球速度を抑えるために、バットの重量を900グラム以上に改訂した実績もある。
小さい頃から野球に取り組み、ボールの危険性を認識した男子ですら不慮の事故は起こってしまう。そこに野球経験のない女子が入った場合、高校野球レベルで120キロ前後の送球スピード、150キロ前後の打球スピードに反応し、退避動作を取ることができるか。日頃から男子に混ざって練習に取り組む女子部員なら可能だろうが、野球経験のない女子マネジャーになれば危険性はかなり上がる。
ましてや甲子園練習は各校、時間が30分と規定されている。選手たちの動きを見ていると、かなりのスピードでメニューを消化し、グラウンドやフェンスなど球場環境の確認をしている。
目まぐるしい動きに、野球経験のない報道陣にボールが当たることも珍しくない。試合前のシートノックとなれば7分間。そこですべてのチェックを行わなければならない。ボールのスピード、動きのスピードが合わさり、イレギュラーや暴投など不測の事態が起これば経験者でも避けるのは難しい。
そのため日本高野連は安全性を配慮し、女子部員がグラウンドに立つことを認めてこなかった背景がある。今回、大分の首藤マネジャーは日常的にノック時のボール受け渡しを担っており、素早い動きが目立った。だからこそ指導者側も「グラウンドに立たせてあげたい」となった。
ただ他校の女子マネジャーがそのレベルに達しているかどうかは不透明。主催者側として、生徒の安全と将来を考えれば妥当な判断と言えるだろう。各コメンテーターが「世の中と最もずれている競技になりつつある」「危険って性別関係ないじゃん」「謎の様式美、禁則が多すぎますね」と発言しているが、それは“硬球の危険性”を念頭に置いた上でのコメントだったのだろうか。
もちろん規制が緩和されるのはベストだ。ただそのためには、安全面を含めて乗り越えるべきハードルは高い。ヘルメットを着用したとしても、目の保護はどうするべきか。女子マネジャーが女子部員と偽ってグラウンドに立つケースも出てくるかもしれない。
決して短絡的ではなく、建設的な議論を重ねた上で-。女子が聖地のグラウンドに立てる日が来ることを願っている。(デイリースポーツ・重松健三)
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yumechiyo
甲子園のマウンドに、野球部の女子マネージャーが降り立つことを問題視されたことに、騒ぎになった事件がありました。
しかし、男と女のはっきりとした違いというものがあります。
私は、占いを通じて出会ったお客様から、男と女の立場を同様にしてはならぬとはっきり確信しました。
こういうことは、男性の立場がいかに正論を言っても聞き入れられぬ風潮があります。杉田さんに感謝します😌
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「成らぬものは成らぬのです。」
で、良いと思います。今も昔も危険な事には違いない訳ですから。
大体、女の子が居たら、男の子は本気でボール投げれないでしょう。試合前の大事な練習です。...
時代錯誤とかそんな問題ではないと思います。
杉田水脈様のコメントより
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「女子をグラウンドに立たせられない理由 感情的でなく、建設的な理論を」
デイリースポーツ 8月2日(火)20時10分配信
近年、女子部員の数は増えてきた。女子プロ野球も発足し、硬式野球に取り組む土壌は確実に形成されてきた。今回、大分の女子マネジャーがグラウンドで練習補助を行い、大会関係者に制止された一件。日本高野連は安全面の配慮と説明したが、その裁定に納得できる部分はある。
【連続写真】ユニホーム姿で髪をかきあげる…クルクル変わる表情は普通の女子高生
それは硬球が一歩間違えば生命を奪う“凶器”となりえるから。高校時代、チームメートが練習試合で右目に打球を受け、視力が著しく低下した。一塁手で左打者が痛烈に引っ張った打球が捕球目前でイレギュラーしたことが原因だった。すぐに救急搬送され、処置を受けたが、チームメートは野球をあきらめざるを得なかった。
過去には打撃投手が痛烈なピッチャーライナーを受け、帰らぬ人となったケースもある。日本高野連はその都度、ヘッドギアや打撃投手用の防具を導入するよう推奨してきた。打球速度を抑えるために、バットの重量を900グラム以上に改訂した実績もある。
小さい頃から野球に取り組み、ボールの危険性を認識した男子ですら不慮の事故は起こってしまう。そこに野球経験のない女子が入った場合、高校野球レベルで120キロ前後の送球スピード、150キロ前後の打球スピードに反応し、退避動作を取ることができるか。日頃から男子に混ざって練習に取り組む女子部員なら可能だろうが、野球経験のない女子マネジャーになれば危険性はかなり上がる。
ましてや甲子園練習は各校、時間が30分と規定されている。選手たちの動きを見ていると、かなりのスピードでメニューを消化し、グラウンドやフェンスなど球場環境の確認をしている。
目まぐるしい動きに、野球経験のない報道陣にボールが当たることも珍しくない。試合前のシートノックとなれば7分間。そこですべてのチェックを行わなければならない。ボールのスピード、動きのスピードが合わさり、イレギュラーや暴投など不測の事態が起これば経験者でも避けるのは難しい。
そのため日本高野連は安全性を配慮し、女子部員がグラウンドに立つことを認めてこなかった背景がある。今回、大分の首藤マネジャーは日常的にノック時のボール受け渡しを担っており、素早い動きが目立った。だからこそ指導者側も「グラウンドに立たせてあげたい」となった。
ただ他校の女子マネジャーがそのレベルに達しているかどうかは不透明。主催者側として、生徒の安全と将来を考えれば妥当な判断と言えるだろう。各コメンテーターが「世の中と最もずれている競技になりつつある」「危険って性別関係ないじゃん」「謎の様式美、禁則が多すぎますね」と発言しているが、それは“硬球の危険性”を念頭に置いた上でのコメントだったのだろうか。
もちろん規制が緩和されるのはベストだ。ただそのためには、安全面を含めて乗り越えるべきハードルは高い。ヘルメットを着用したとしても、目の保護はどうするべきか。女子マネジャーが女子部員と偽ってグラウンドに立つケースも出てくるかもしれない。
決して短絡的ではなく、建設的な議論を重ねた上で-。女子が聖地のグラウンドに立てる日が来ることを願っている。(デイリースポーツ・重松健三)
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yumechiyo
2016年8月2日火曜日
規則や法律とは?
【規則や法律とは?】
規則を守ることに一歩も引かなかったがっこの先生が許した、子供たちの名珍案とは…⁉︎
(規則って誰のためにあるの???)
Buzzmag様より
http://buzzmag.jp/archives/75845?utm_source=Facebook&utm_medium=FBpage
「2016年は観測史上、最も暑い年になる可能性がある」とNASA(アメリカ航空宇宙局)が声明を出している通り、今年は世界各地で猛暑日が記録されています。
そんな中、イギリス・ブライトンにあるロングヒル・ハイスクールの男子生徒たちがとった、とある行動が話題を呼んでいます。
スカートをはいた男子!
驚くことにこの学校では、数人の男子生徒たちが「暑さ対策」として、女子用の制服スカートをはいて登校しているといいます。
ことの発端は、男子生徒たち数人が、今年一番の暑い日にロングのズボンではなく、風通しのよい、ショート丈のズボンをはいて行ったときのこと。
その服装が校則違反であるとして、彼らは学校から罰を受けてしまいました。
そこで男子生徒たちは、あくまで校則を遵守し、暑さ対策になればと、次の日、制服のスカートをはいて登校したそうです。
すると同校の校長先生は、「スカートは制服なので構いませんし、男子生徒がスカートをはくべからず、という決まりもありませんでした」と、着用をOKしたのだとか。
14歳のマイケル・パーカーくんは語ります。
「こんなに暑い日なのに、女子生徒ばかり、涼しいスカートをはけて公平ではないかと思いました。僕たち男子は、暑い日でも黒の長ズボン着用です。太ももがあぶり焼きにされそうでした」
マイケルくんのお母さんのアンジェラさんは、男子生徒たちのこの行動を全面的に支持しています。
「マイケルや男子生徒たちの行動を私は誇りに思っています。女子生徒にだけスカートをはかせて、男子生徒には猛暑日でもショートパンツをはかせないなんて、性差別です。男子にはショートパンツの制服を選択肢として設けるべきなんです」
まだまだ続く猛暑。男の子たちの行動がきっかけとなって、校則は変わるのでしょうか。
規則を守ることに一歩も引かなかったがっこの先生が許した、子供たちの名珍案とは…⁉︎
(規則って誰のためにあるの???)
Buzzmag様より
http://buzzmag.jp/archives/75845?utm_source=Facebook&utm_medium=FBpage
「2016年は観測史上、最も暑い年になる可能性がある」とNASA(アメリカ航空宇宙局)が声明を出している通り、今年は世界各地で猛暑日が記録されています。
そんな中、イギリス・ブライトンにあるロングヒル・ハイスクールの男子生徒たちがとった、とある行動が話題を呼んでいます。
スカートをはいた男子!
驚くことにこの学校では、数人の男子生徒たちが「暑さ対策」として、女子用の制服スカートをはいて登校しているといいます。
ことの発端は、男子生徒たち数人が、今年一番の暑い日にロングのズボンではなく、風通しのよい、ショート丈のズボンをはいて行ったときのこと。
その服装が校則違反であるとして、彼らは学校から罰を受けてしまいました。
そこで男子生徒たちは、あくまで校則を遵守し、暑さ対策になればと、次の日、制服のスカートをはいて登校したそうです。
すると同校の校長先生は、「スカートは制服なので構いませんし、男子生徒がスカートをはくべからず、という決まりもありませんでした」と、着用をOKしたのだとか。
14歳のマイケル・パーカーくんは語ります。
「こんなに暑い日なのに、女子生徒ばかり、涼しいスカートをはけて公平ではないかと思いました。僕たち男子は、暑い日でも黒の長ズボン着用です。太ももがあぶり焼きにされそうでした」
マイケルくんのお母さんのアンジェラさんは、男子生徒たちのこの行動を全面的に支持しています。
「マイケルや男子生徒たちの行動を私は誇りに思っています。女子生徒にだけスカートをはかせて、男子生徒には猛暑日でもショートパンツをはかせないなんて、性差別です。男子にはショートパンツの制服を選択肢として設けるべきなんです」
まだまだ続く猛暑。男の子たちの行動がきっかけとなって、校則は変わるのでしょうか。
yumechiyo
2016年7月30日土曜日
障害者殺傷事件
【障害者とは何者ぞ?】
「障害者が穀潰し」という発想は、この世の人心が失われている証そのものである!
リンク先のコメントを残したこ奴らは、人以下の獣に成り下がっておる👺
人は、生きるために飯を食わざるを得ないが、飯を食う為に生きているわけではない!
我らはこの世に、「学び」に来ているのである。
障害者を持つ親御さんも、施設で働く人たちも、肝に命じて「覚えて」おいて欲しい👨👨👦
彼らは、私たちに「気づき」を与えてくれる『先生』である❗️
嘘だと思うならば、自分が彼らにとって代わってみるが良い😠
VopperTrendy
http://vipper-trendy.net/?p=3763
障害者という税金食い潰すだけのゴミを始末した英雄に賞賛の声がツイッターで殺到
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で
植松聖が刃物で入所者を次々殺傷した事件をめぐり
賞賛の声がツイッターで殺到している。
yumechiyo
「障害者が穀潰し」という発想は、この世の人心が失われている証そのものである!
リンク先のコメントを残したこ奴らは、人以下の獣に成り下がっておる👺
人は、生きるために飯を食わざるを得ないが、飯を食う為に生きているわけではない!
我らはこの世に、「学び」に来ているのである。
障害者を持つ親御さんも、施設で働く人たちも、肝に命じて「覚えて」おいて欲しい👨👨👦
彼らは、私たちに「気づき」を与えてくれる『先生』である❗️
嘘だと思うならば、自分が彼らにとって代わってみるが良い😠
VopperTrendy
http://vipper-trendy.net/?p=3763
障害者という税金食い潰すだけのゴミを始末した英雄に賞賛の声がツイッターで殺到
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で
植松聖が刃物で入所者を次々殺傷した事件をめぐり
賞賛の声がツイッターで殺到している。
yumechiyo
2016年7月29日金曜日
平和とは
【平和】
平和の反対語は、戦争ではない。
戦争をしないことが平和なんじゃなくて、みんなが安心して暮らせる世の中が平和なんだ。
現代は、ともすれば「闘わずして負ける」風潮が蔓延っている。
日本人はいつから、腑抜けになったんだ。...
先の戦争で誇りや魂まで失くしてしまったのか、情け無い…
yumechiyo
平和の反対語は、戦争ではない。
戦争をしないことが平和なんじゃなくて、みんなが安心して暮らせる世の中が平和なんだ。
現代は、ともすれば「闘わずして負ける」風潮が蔓延っている。
日本人はいつから、腑抜けになったんだ。...
先の戦争で誇りや魂まで失くしてしまったのか、情け無い…
yumechiyo
2016年7月16日土曜日
戦争は善か?悪か?
戦争が善か悪か、そこに視点を置いていると、まったく真実から遠ざかってしまいますよ。
どんなに議論をしていても、起きる時には起きてしまうのが戦争というものです。
武器の「武」とは、戈(ほこ)を止めるの意。。
どんなに議論をしていても、起きる時には起きてしまうのが戦争というものです。
武器の「武」とは、戈(ほこ)を止めるの意。。
戦いたくないのは、誰もおんなじ。
でももしかしたら、戦わなくてはならない時が、そこまで近づいているかも知れない。
国内にばかり目を向けることなく、世界の中の日本の立場を知れば、武器を持たないなど寝言は言っていられなくなるはず。
外来者に惑わされて、日本のリーダーを憎んではならない。
日本国への誇りを失ってはならない。
私たちは、幸せでなくてはならない。
悪口と不信から、幸せは生まれない。
戯言でない、真のリーダーの下に真の日本人の心がひとつになって欲しいと願う。
その強き心こそが、見えざる武器となる。
日本を分断してはならない。
分断しようとする者こそ、本当の罪悪である。
yumechiyo
でももしかしたら、戦わなくてはならない時が、そこまで近づいているかも知れない。
国内にばかり目を向けることなく、世界の中の日本の立場を知れば、武器を持たないなど寝言は言っていられなくなるはず。
外来者に惑わされて、日本のリーダーを憎んではならない。
日本国への誇りを失ってはならない。
私たちは、幸せでなくてはならない。
悪口と不信から、幸せは生まれない。
戯言でない、真のリーダーの下に真の日本人の心がひとつになって欲しいと願う。
その強き心こそが、見えざる武器となる。
日本を分断してはならない。
分断しようとする者こそ、本当の罪悪である。
yumechiyo
2016年7月6日水曜日
新しい憲法はどんな憲法が良いのか?
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/mihara_n_10914060.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001
三原じゅん子氏「神武天皇は実在の人物」と認める 池上彰氏が質問(参院選) Asahisinbun
タイトル、非常によろしくありませんね。
この度再当選された三原じゅん子議員は「神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」というのが本当の趣旨。
マスメディアは社会の真実を映し出す鏡でなくてはなりません。歪曲してはなりません。
これ、凄くよくわかります。現行の憲法は、日本人が作ったのではなく、GHQが日本人が2度と欧米に楯突かないよう作った憲法ですが、旧憲法は創案者が「日本人による日本人のための憲法」を求めて作った日本人にとって本来、理想的な憲法でした。
創案者たちは、徹底的に日本の古典を学び、さらに欧米の憲法を取り入れて大日本国憲法を作ったのです。...
(古典やさらに神話は、その国柄を表す大切なものなんですよ(^-^))
私たち日本人の優秀なご先祖様の足跡を、現在のマスメディアがいつもやるような一部切り取り術に引っ掛かって、全否定するようなコメントを見て、私は辟易しました😣
この日本には、彼らのように偏らない、幅広い知識と無我の思いで私たち日本人のことを考えてくださる、優秀な方が必ずおられるはず。
どうか、そういった本当の先生方、今度こそ、みんなが自信を持って生きられる、この国をみんなが好きになれるような憲法を作ってください。
よろしくお願いしますm(_ _)m
yumechiyo
この日本には、彼らのように偏らない、幅広い知識と無我の思いで私たち日本人のことを考えてくださる、優秀な方が必ずおられるはず。
どうか、そういった本当の先生方、今度こそ、みんなが自信を持って生きられる、この国をみんなが好きになれるような憲法を作ってください。
よろしくお願いしますm(_ _)m
yumechiyo
どちらが正しいのか?
いわゆる右と左に分かれて、選挙戦がおこなわれています。
これってなんだか、鑑定の時に見てきた、夫婦喧嘩にそっくりです😓
これってなんだか、鑑定の時に見てきた、夫婦喧嘩にそっくりです😓
お互いに自分の意志を押し通すばかりなので、片方の意見だけを聞いていると、同情から相談者の相手の異性を悪く捉えがちですが、真実は両方の意見を聞かなければ、初めはさっぱり分かりません。
...
「私は苦しんでいる」という感情表現の上手い者に人は同情し、手を貸したくなりますが、そういったものに扇動されないことです。
長年、人と対峙するなかで、鬼の目にも涙も見ましたし、慎ましい者が化けの皮を剥ぐととんでもない悪党だったこともありました。
人は見かけによりません。
常識と、足跡を見てご判断ください。相手を罵り、足を引っ張るだけの者に、この国を任せるわけには参りませんm(_ _)m
yumechiyo
長年、人と対峙するなかで、鬼の目にも涙も見ましたし、慎ましい者が化けの皮を剥ぐととんでもない悪党だったこともありました。
人は見かけによりません。
常識と、足跡を見てご判断ください。相手を罵り、足を引っ張るだけの者に、この国を任せるわけには参りませんm(_ _)m
yumechiyo
2016年7月5日火曜日
選挙について私見
選挙は「強要」や「依頼」されてやるものでもなければ、「お願い」されてやるものでもありませんね(*^^*)
また、「特定の団体」が潤うためにやるものでもありません。
何のために行うかと言えば、「国」のために行うんです。国とは、国がまえに王と書くように、ある枠の中に王がいて初めて国が成り立ちます。
民主主義という言葉によって国の在り方自体が分かりにくくなってしまっていますが、私たち日本人は皆、天皇家を大本家とする一つの大家族です。
私たちの街の中にある神社は、かつて氏神様と呼ばれ、各本家のご先祖の御魂を祀る所でした。日本人全員が、皆遠い親戚です。ですから本来、いがみ合うのはおかしいんです❣️
選挙とは、日本民族全員が幸せになるために行うのです。海外の事情はここでは関係ありません。ここは、蒼々たる独立国家である日本国です🇯🇵
選挙は、人気投票でもなければ、ただの義務でもありません🍀
私たちひとりひとりに与えられた選挙権は、大きな權利なのですね😌
Facebookをされる皆さんは、ぜひ候補者の、特に政党のやってきた足跡をよく見て見つけてみてください。いまはどんな情報でも、比較的簡単に入ります。
叶うかどうかわからないマニフェストや、他党の悪口❗️よりも、実際にその政党が国のために成して来た足跡👟を見てください。
善に見えて悪、悪に見えて善なるものが現在の日本にはたくさんあります。
今の日本の国に求められているのは、自分の魂を偽ることのない、誠実な国民の1票ではないでしょうか☀️
yumechiyo
2016年6月25日土曜日
どんなときも、心を自由に保つ!!
FACEBOOKをやって良かったなぁと思うことのひとつに、致知出版の存在を知ったことです。
致知出版社 http://www.chichi.co.jp/info
月刊誌「致知」は、古今東西の師たちの生きざまを記す、人間学の雑誌です。
facebookには、同誌の中からピックアップされた名言や人生の師たちの生きざまを、毎日ご紹介しています。(ちなみに今日はこんな言葉が載せられていました)
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
安岡正篤師の座右銘 「六中観(りくちゅうかん)」にある言葉です。
◎ 忙中閑(かん)あり ――忙中に掴んだものこそ本物の閑、也。
◎ 苦中楽あり ――苦中に掴んだ楽こそ本当の楽、也。
◎ 死中活あり ――身を棄ててこそ浮ぶ瀬もあれ。
◎ 壺中(こちゅう)天あり ――どんな境涯でも自分だけの内面世界は作れる。どんな壺中の天を持つか。
◎ 意中人あり ――心中に尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。
◎ 腹中書あり ――身心を養い、 経綸(けいりん)に役立つ学問をする。
師は平生ひそかにこの6つを反芻し、 いかなる場合にも決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、 精神的空虚に陥ったりしないように 心掛けている、と言っている(『安岡正篤一日一言』)。
(facebookのアカウントを持っている方は、こちらから見られます) https://www.facebook.com/chichipublishing/?fref=nf (致知出版のページ for Facebook)
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安岡正篤先生は、紫微垣の中でもたびたび登場す玄学には欠かせない人物ですが、 それは難解な古典なども、私たちにわかりやすく説いてくださることです。
学問といえども、ただ難しい本を片っ端から読めば良いというわけではありません。 こうした師と出会い、その学の捉え方学び方を学ぶことは、とても大切なことのように思います。
上記の言葉が難しく感じる方も、急いで読み解こうとせず、スピードを落としてじっくりと判読していってみてください。 すべての意味がわからなくても、音読みで捉えず、訓読みで咀嚼していけば、おのずと何となく意味がわかってくるでしょう。
ちなみに上記の6つの言葉はすべて、「覚醒し続けていること」に通じる言葉です。
たとえば、お釈迦様は、「仏陀=目覚めた人」と呼ばれましたが、これは一日のうちに何時間か目覚めているわけではありません。 お釈迦様はこう言っておられます。 「私は、悟りを開いてから、今まで眠ったことがない。目覚め続けている。それがゆえに仏陀なのである」と。
夢千代
2016年6月23日木曜日
善と悪について(人をどう教育するか?)
こんにちは。善と悪について、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
私は、この二つの言葉を知れば知るほど、根拠の無い、自己中心的な言葉はないというように思うようになりました。
私が皆さんの鑑定をしていた当時も、この言葉に絶対的な価値観は感じておらず、私が社会に出た頃から、相対と言う言葉にこそ価値観を見出しておりました。
それが、ひとりひとりの人間の価値観を生み出し、私のなかで見た目や生い立ちにおいての差別を意図的に無くしていった方法でした。
兎角、人は正義感に溢れると、盲目的な善人と化し、自らの立ち位置を忘れてしまいがちになります。
怒りとは、正義感からやってくる場合がありますが、この怒りの正体さえも、仏教でいう所の貪むさぼり・瞋いかり・癡むち(とん・じん・ち)から来ていることが多く、中でも無知なるゆえの勘違いから発する怒りが実に性質の悪いものであると思うのです。
さて、今日は、FBでお世話になっているねずさんこと、小名木善行(おなぎぜんこう)さんのブログから、教育について考えてみたいと思うのです。
小名木善行 ねずさんの ひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3056.html
ねずさんのブログを拝見して、「一罰百戒」と言う言葉を、はじめて知り得たわけですけれど、いわゆる私たち以前の先生の教育方法ですね。「バケツを持って立っていなさい」とか、私自身の経験で言えば並べてひっぱたかれたこともありましたよ。ねずさんの先生は鞭を持っていらしたらしいですけれど(笑)
ここで冒頭にお話しした善と悪が出てくると思います。
この一罰百戒は、時には体罰も辞さないやり方であると思います。
皆さんは、体罰についてどう思われますか?
私は立場上、こう思うとは言わず、こうであるという言い方を申しますが、子供に体罰は有効であります。問題なのは、同じ手をあげるにしても、親の業で殴るのか、それが愛の鞭なのかの違いによって子供の心に傷が残るかどうか変わってくるのです。
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さて、この「一罰百戒」西洋に似た言葉があるとすれば、「一罪一罰」ですね。
…あれ?そんな言葉あったかなぁと思われるかも知れませんが、皆さんのよく知る言葉でいうと
「目には目を、歯には歯を」です。
これが西洋における平等社会における教育であると私は思います。
ところが、こちらもねずさんの言葉をお借りするならば、日本はもともと平等社会ではなく対等社会であったと、
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3041.html
さらに、日本と言いますか東洋のすべてがそうなのですが、横社会ではなく縦社会であります。
目上の言うことを聞いて、しっかりとピラミッド型の組織を作ることが、日本の対等社会のもっとも基盤となるものです。
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現在読んでいる小学 (中国古典新書) (四書五経の「大学」を読む以前に、幼少の者が生き方の指針とした書)にもこのようにしっかりと書かれております。
「楊文公の家訓に曰く、童稚の学は記誦に止まらず。その良知良能を養うには、当(まさ)に先入の言を以って主と為すべし」 嘉言第五-2
・良知良能とは、人が生まれながらにして備わった道徳的能力と知恵のこと。
・先入の言とは、まっさらな心の状態において、いちばん先に刻まれる言葉のこと。
大人の私たちでさえ、何をもって善か悪か?わからない。
そのわからない大人が、はたして子供を教え諭すことが出来るでしょうか?
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これから私は、何か子供のための仕事をしていきたい!
現代の大人の悩みを解決するすべは、たぶんありませんよ。
ほとんどが我欲や環境的苦痛を解消したいだけ。
それは自己努力の先にのみ存在するものですね。
それは私の役目ではないと、はっきり覚りました(笑)
夢千代
2016年6月21日火曜日
原点との出会い
先日、6/15(木)~19(日)にかけて、群馬県倉渕にあります、はまゆう山荘に行ってきました。
目的は、私の奥さんである宮川久美さんのコンサート。私も朗読で一部出演しました。
倉渕という所は、そうですねぇ…スタジオジブリの「トトロ」に出て来る森のような場所です。
手のひらいっぱいに、あれもこれも…と遊び場所を求める方には、あまり向いていない場所かも知れません。 その代わり、普段、街の中に住んでいる人たちの中で、「癒し」とか、「気付き」とか、「本当に必要なもの」とか、 私のところへそんなものを一度でも求めにいらした方にとっては、宝の山かも知れませんね(^o^)
さて、最近の私は、人の裏、世界の裏を見過ぎたために、心がダークになっておりました。
どんな人生も、どんな知識や体験も、尊いことに変わりはありませんが、それでもいちばんつらく感じるのは、本人と その家族なんですね。
僕はもともと、好奇心のめっぽう強いほうでして…ひとつの世界を徹底的に探究してしまうクセがあります。 ところが、その研究にしても、ただ知識として持っているだけではどうしようもないことがあります。 私の父は、私以上にやはり本を読む人でして、ある年齢になった時「あまり小説を読まなくなった」と言っていました 。その理由を尋ねたら、「空想のなかに使う時間がもったいなくなった」のだそうです。 ところが私は逆でした。 現実を知れば知るほど、救いが無くなるのです。 仏教や神道も、(あくまで抽象論なので誤解が無いように願いますが…)もう学ぶことが無くなってしまったのですね 。真実を知れば知るほど穢れてしまうというジレンマに、私は、とにかくそれが空想でもいい…人の正気と向き合いた い。もう一度人というものを信じてみたい。。
そのような気持ちにやっとなれてきました。 はまゆう山荘では、私にはかなりの時間、一人でいられることが出来そうでしたので、あることを思い立って出発をし ました。
それは、はまゆう山荘に着いたら、少年少女の読むような世界の名作を、ゆっくりと読んでみたいということでした。 はまゆう山荘の談話室には、少年少女向けの本が何冊か並んでいます。 そのラインナップは、現代の小中学生がというよりも、私たちが小さい頃、読んでいたものが多く、子供用の本といっ ても、私は全く抵抗がありません。却って、たくさんの本が読めることになっていいでしょ。 私が読みたかったのは、モンテ・クリフト伯(日本では「岩窟王」と訳されています)でしたが、置かれていなかった のですね。
他のものを読もうかとも思いましたが、気が進まず、どうしようかと思っていた時に、ふと目にした本がありました。
漫画だったのですが、それはドラえもんの映画の原作でした。
ドラえもんの映画第一作は、「のび太の恐竜」で、1980年公開だったそうですが、私はこれを映画館に観に行っていま す。映画ドラえもん の び太の恐竜【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD] なんどかブログにも書きましたが、私は1970年生まれで、現在のドラえもんが始まったのが1979年ですから、私が小学 校4年生の時。 のび太君の年齢の設定が、小学校4年生ですから、僕はずうっとのび太君と同級生だと信じて生きてきたんですよ。 僕たちが小学生の頃は、みんなドラえもんをあたりまえのように、特に大晦日やお正月のドラえもんは、もう欠かさず 楽しみに見ていましたが、中学生になると、「中学にもなってドラえもんなんて見ないよね」という友達のお母さんも 現れたりして、放送は変わらずあったものの、自然と見なくなってしまいましたね。 ドラえもんの映画の第一作 のび太の恐竜から、のび太の宇宙開拓史・のび太の大魔境・のび太の海底鬼岩城・のび太 の魔界大冒険・のび太の宇宙小戦争くらいまではタイトルだけでも記憶があるんですけれど、それ以降は、まったくな じみがありません。 子供の頃、あれだけ好きだったドラえもんの映画をわずか数作しか知らないのは、なんだか損した気持ちでいたことも あって、世界の名作を読むつもりが、ドラえもんを読み始めてしまったんです(笑)
それはまさしく、私の原点でした。 私はジュール・ベルヌ(海底二万里・八十日間世界一周・神秘の島 etc)が大好きですが、考えてみれば、どらえもん を見ていたからこそジュール・ベルヌにすっと入っていけたのですね。
当の作者の藤子不二雄先生など、逆にジュール ・ベルヌなどから発想のヒントを得ているはずですが、僕はその逆をたどっていっている。面白いものですね。
アニメブームという時代が、僕の子供の頃にもありましたが、その内容は蒼々たるものでしたよ。
ちょっと思い出すだけでも、ルパン三世、世界名作アニメ劇場、花の子ルンルン。キャンディキャンディ。男の子も女 の子も、どんなアニメでもみんなで見ましたし、その作者も男の漫画家先生が描いていたり、女の漫画家千世が描いて いたり、あまり区別というものはありませんでした。
僕たちはその中から、世界の国々を学び、日本の歴史を知り、花や木や鳥や獣たちの名前をひとつひとつ覚えていきま した。 それと同時に、私たちが生きているこの世界と思っている世界は、実は広大な宇宙のごく一部であり、海の彼方にある 外国はもちろんのこと、宇宙と他の星々、地底世界、四次元空間、過去と未来、空想の生き物たち、目に見えない霊魂 の世界、ふだんは気が付かない極小の世界。 これらを知ることで、僕たちは思いやりのある、優しい子供でいられたような気がします。
はまゆう山荘滞在中に、五冊くらいのドラえもんを読みましたが、その中でも印象に残ったのが、大長編ドラえもん (Vol.5) のび太の魔界大冒険 (てんとう虫コミックス) 。
「魔法が使えたら…」という少年少女であればだれでも夢見るその願いに、藤子不二雄先生は、真剣に答えています。
(かつて、人類は魔法を本当に一生懸命に研究した。魔法は科学の一部でもあったんだ。けれども、確実な科学の力が証 明の難しかった魔法の歴史を終わらせてしまったんだ)と。
のび太君は、ドラえもんの道具「もしもボックス」を使って、人間が科学でなく魔法を正史として選んだ場合の世界の もしもを願い、その世界を体験し始めます。 皆さん、空飛ぶじゅうたんがあちこちに浮遊している光景をちょっと想像してみてください。 楽しくなってきませんか(^o^)
夢千代
2016年6月14日火曜日
2016年…時を越えて、いま想うこと。。
Photo by (c)Tomo.Yun
皆さん、お久しぶりです。
お元気ですか?
10年ひと昔、、と言いますけれど、私も46になりました。
占いをやっていた頃の自分を、ようやく客観的にみつめられるような年齢になったなぁと思います。
今日は、『いまを生きる』というテーマについてお話ししてみたいと思います。
私は、もともと、あまり人とのコミュニケーションが上手ではないのですが、
占いというアイテムを持ち得てから、実に、たくさんの方たちとお会いしてきました。
実際、私と会ったことのある方は、私を通じて“占い”の持つ不思議な魅力に惹かれたことでしょう。
「幸せとは、他からやってくる」という言葉を、その時にたくさんの方にお伝えしました。
幸せとは、やはり、自分も自分の周りにいる人たちも、みんなが笑顔でいられることが、ほんとうの幸せのはずです。
私は「心の書」を若い頃からほんとうにたくさん読んできましたけれど、
そのなかに書かれていることは、多分に漏れず「人をしあわせにすること」でした。
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さて、お話しは変わりますが、最近、私の心にとどまったある言葉がありましたので、ご紹介したいと思います。
“人生の中間地点とは、いったい何歳くらいのことだろう。たぶん、19歳くらいなのだと思う。それは、数字的なことではなくて、人の意識的な意味合いを含んでいる”
年を重ねると、自分の所有する“時間”の概念というものが、だんだん狂うようになってきます。
一日が、一年が、とても短く感じて来るのですね。
ですから、実際に人の寿命というものが、80か90か仮にそれくらいあったとしても、じゃあいまはちょうど私くらいの46歳という年齢が中間地点かというとそうではありません。
いまから、若い頃のようにまったく新しいことを始めようとしても、そのエネルギーはもう別のものであって、日々のことどもを消化していく年齢に、入りかけているように思えます。
では、私の人生の中間地点は幾つだったかと言えば、やはり19歳というのは妥当だった気が致します。
その頃の私の夢は…“人を救いたい”“世界を救いたい”ということでした。
あの中間地点から、ここにいたるまで、世の大人たちからは、「自分のことも出来ないのに」との言葉があたりまえのように言われましたけれど、私はいま自分というものを、あらためて外から眺めて見た時に、やはり…あれが自分の原点だったのだなと思います。
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さて、今日のテーマ『自分のために生きる』ですが、この年齢になって思うことは、「時代」や「若者」や「常識」といった言葉の持つ意味が、すっかり変わってしまったなということです。
私は体も弱く、あまり自分から人の中に入っていけるタイプではなかったので、20代までに培ったキャパシティは、実体験を重ねられた皆さんと比べると、実に狭いものだと思います。
しかしながら、実世界に侵されていないぶん、純粋に「人」というものな何か?「世界」というものはなにか?人にとって幸せとはなんなのか?について、じっくりと研鑽学習できたことも確かです。
あの頃は、学校で教えられたことも、社会の風潮も、為に生きるということが、善であり、美徳であったように思います。
『汗水流して、人の為にいっしょうめい働く』
その想いや根底は、現在の私にとっても決して揺るぎのないものです。
しかし、その反面、占いを通じて、または自身を深く分析して、この時代を迎えていま想いますのは、人のしあわせのために、自分のしあわせまでも譲ってはいけないということです。
占いのお客様の中でも、深い苦しみを抱えていらした方は、皆、自分ではない誰かの犠牲になっていた方がほとんどです。
その他にも幾つかの要因がありますが、それはまた機会を譲ると致しまして、自分の最後の幸せだけは譲ってはいけない(そこまでしていいのは、信頼関係の成り立っている、自分と血のつながった親子や夫婦だけです)。
御相談者の中には、親に苦しみ、子に苦しみ、夫や妻に苦しんでいる方もおられましたから、それはそれぞれの立場や状況に応じるため一概には申せませんが、概して、いっぽうてきに与えられるものだけを望む人、見返りだけを望む人は、親子夫婦といえども、害にこそなれ、いくら情に訴えてきたとしても、関わりをこそ考えるべき、ましてや強要されるものでもありません。
私はいま、時を越えてこの時代に言葉を発するとしたら、
「自分のために生きてください」
まずはそのように申し上げたいと思います。
夢千代
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