2013年3月4日月曜日
河野鉄平×宮川久美Duo Recital
バス歌手の河野鉄平さんと、うちの久美さんのコンサートを観てきました。
紀尾井町サロンホールで行われたコンサートは、おかげさまで盛況のうちに無事終わりました。
遠いところまで、御足をお運びいただいた皆様、本当にありがとうございました。
最近、私自身、久美さんのコンサートに行って聴ける機会が、とても少なくなっています。
これは、とても残念なことで、彼女の人生に寄り添いながら、その人生の半分を、僕は知らないことになります。
実は、河野鉄平さんとお会いするのは、今回が二度目でした。
先日の打ち合わせの時に、ほんの少しお話しする機会がありましたが、その時の彼の第一印象は、とても元気で、誠実な人だという感想を持ちました。
鉄平さんと久美さんは、2012年2月に行われたグァムでのコンサートで、大成功を収められており、その時、僕も同行するはずだったのですが、体調がとても悪く、また異国の地でかえって足手まといになるのも心配でしたから、私は現地のTV局でのインタビューの様子などが上げられたyoutubeでのコンサートの様子を観ることでしか、当時の様子を実際に伺うことは出来なかったのですね。
河野鉄平さんは、1978年生まれ。11歳の時からご両親とともに、海外での生活を続けて来られました。オハイオ州クリーブランドにある大学と大学院で声楽を学ばれた後、アメリカやシンガポールにてプロの声楽家として活躍されてきました。
昨年12月には、第22回日本クラシック音楽コンクールにて一般男性の部で最高賞を受賞。
これから、より一層のご活躍が期待されるなかの、今回のコンサートでした。
今回、オペラ仕立ての三幕構成で、歌曲あり、ミュージカルポップスあり、オペラのアリアありで、非常にバラエティの富んだプログラムとなっており、正味二時間半という、そのボリューム(オペラの全幕よりも長かったのそうです!次回は、「ちょっと考える」とも、おっしゃってましたけど。。)にも驚きましたが、実際はそれほどの時間が経ったことすら思わせなかった喜びの連続でしたので、いらしたお客様もきっと、皆さん心から満足されて帰られたことと思っております。
私は、先ほども申しましたように、河野鉄平さんのコンサートを拝聴するのははじめてです。
彼の『声』でしたら、そのようなわけで一年前から存じておりましたが、実際のステージで(なんと私は最前列でした)感じたことが多々ございます。
ただ、上手いとか、良かったとかいう感想は、プロの方に対しては、あまり申し上げても意味のないことと思います。それでも上手い、歌い手さん、というよりは、彼には「プレイヤー」という言葉が似合います。歌はもちろんのこと、オペラの作品のなかで演じる役についても上手でした、何よりも華があります。
始終繰り出される、彼のユーモアは、彼のぶれない誠実な人柄のせいか、それが決して嫌味に感じず、またクラシック音楽の愛好家を前にしてもそれが品を欠くようにはならず、かえってそれが好感を持てるといった、若さと張りと、そして彼の優しさをとても感じる舞台でしたね。
初対面の時に、鉄平さんに
「ビデオを見て、怖い人かと思いました」と言ったら、
笑っていらっしゃいましたけれど、彼のステージには、人を魅了し、圧倒するだけの、勢いと力があります。
それは、彼が天から授かったその恵まれた体格と、甘いマスクと、育った環境なんかもあるかと思いますけれど、それ以上にステージを観て初めて分かる、生まれ持っての資質というか、目には見えないある種の才能を、私は彼から感じました。
私はいままで、何人かのクラシックの音楽家の方にお会いしました。
それぞれのお人柄があり、技術があり、いままで生きて来られた哲学を持っていらっしゃいます。
そんな彼らの舞台を見るときに、私はいつも彼らの放つ「音」から「映像」と「物語」を観ます。
それは、なお自然界に存在するエレメントに要約され、ある人からは、水を感じ、またある人からは風を感じ、光や空や海を私は彼らのバイブレーションとともに密かに楽しむのですね。
そういう見方をすると、中には、つらくなる時もあります。派手に演出された中、聴衆の歓喜とは裏腹に、プレイヤーの呻きや叫び声が絵となって見えてくることもあるからです。
さて、今回、河野鉄平さんから感じたものは、そのいずれでもありませんでした。
具体的な映像も、なぜかあまり見えては来ませんでした。
(それは私が最前列で、緊張していたせいもあるかも知れません)
その代り、第二幕が始まった頃でした。
ふいに、なんだか懐かしい想いにとらわれたのです。
私の感性が、もっともっと瑞々しかった頃、20代の頃に感じていたような想いが、急によみがえってきました。
(この気持ちはなんだろう…)
そう思いながら、聴いていて、ミュージカルの「star」という曲になった時、私のあるものが飛び込んできました。
それは、
色でもない、形でもない、
…愛だったんですね。
英語で歌われたこの曲が、どんな意味の歌詞だったか、わかりませんが、私の目からは突然に涙があふれてきて、ハンカチをバックヤードに置いてきてしまったことを、えらく後悔しました。
今までクラシックを聴いていて、こんなにストレートで、こんなにピュアなバイブレーションを私は聴いたことがありませんでした。
いえ、今まで聴いてきた皆さんだって、素晴らしいのです。(現に、鉄平さんのお父様の口からは、鉄平さんの先生に匹敵するような、さらなる技術の向上をおっしゃられていました)
しかし、(音楽というのは、本当に理屈ではないんだな)、と。このとき、私はあらためて学びました。
舞台上でお話ししていた、鉄平さんご自身のお話しによれば、今回の曲のチョイスは、「思い出の有る曲・思い入れの有る曲」ということで、彼が高校・音大時代、レッスンを始めた頃に歌っていた曲を多く選曲したということで、そのような『初心忘れるべからず』といった彼の想いがそのまま飛び込んできてしまったかも知れません。
他の芸術家の方もそうですが、音楽家の方が音楽で身を立てていくことは、この時代この国にあっても、本当にむずかしい事かも知れません。
商業の中に流れる過程で、才能が削り取られていったりするお話しも、聞いたりします。
自らの自信と才能におぼれて、道を見失ってしまう方もおられるようです。
それでも私は、鉄平さんのいまの歌声を、5年後も10年後も聴いてみたい、心からそう思えました。
本当の音楽というものがなんなのか、私も久美さんからたくさん学びましたが、「有名だから」ではありません。メディアに出ているからでもありません。そして、本物の生きた音楽は、CDやDVDでは、聴くことができません。
プレイヤーが心血注いで、「いまを生きる」姿は、このステージという場所以外にありえないのだなといま、私は思います。本物の芸術が「いまを生きる」姿に、未来の不安や、打算的な思いなど入る余地はありません。
もっともっと、多くの人たちに本物の音楽の良さを知っていただきたいと、あらためて思えた最高に良き時間となりました。 感謝!
夢千代
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