2016年6月23日木曜日

善と悪について(人をどう教育するか?)




















こんにちは。善と悪について、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

私は、この二つの言葉を知れば知るほど、根拠の無い、自己中心的な言葉はないというように思うようになりました。

私が皆さんの鑑定をしていた当時も、この言葉に絶対的な価値観は感じておらず、私が社会に出た頃から、相対と言う言葉にこそ価値観を見出しておりました。
それが、ひとりひとりの人間の価値観を生み出し、私のなかで見た目や生い立ちにおいての差別を意図的に無くしていった方法でした。

兎角、人は正義感に溢れると、盲目的な善人と化し、自らの立ち位置を忘れてしまいがちになります。

怒りとは、正義感からやってくる場合がありますが、この怒りの正体さえも、仏教でいう所の貪むさぼり・瞋いかり・癡むち(とん・じん・ち)から来ていることが多く、中でも無知なるゆえの勘違いから発する怒りが実に性質の悪いものであると思うのです。

さて、今日は、FBでお世話になっているねずさんこと、小名木善行(おなぎぜんこう)さんのブログから、教育について考えてみたいと思うのです。

小名木善行 ねずさんの ひとりごと
 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3056.html


ねずさんのブログを拝見して、「一罰百戒」と言う言葉を、はじめて知り得たわけですけれど、いわゆる私たち以前の先生の教育方法ですね。「バケツを持って立っていなさい」とか、私自身の経験で言えば並べてひっぱたかれたこともありましたよ。ねずさんの先生は鞭を持っていらしたらしいですけれど(笑)


ここで冒頭にお話しした善と悪が出てくると思います。
この一罰百戒は、時には体罰も辞さないやり方であると思います。

皆さんは、体罰についてどう思われますか?
私は立場上、こう思うとは言わず、こうであるという言い方を申しますが、子供に体罰は有効であります。問題なのは、同じ手をあげるにしても、親の業で殴るのか、それが愛の鞭なのかの違いによって子供の心に傷が残るかどうか変わってくるのです。

+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:

さて、この「一罰百戒」西洋に似た言葉があるとすれば、「一罪一罰」ですね。
…あれ?そんな言葉あったかなぁと思われるかも知れませんが、皆さんのよく知る言葉でいうと
「目には目を、歯には歯を」です。

これが西洋における平等社会における教育であると私は思います。

ところが、こちらもねずさんの言葉をお借りするならば、日本はもともと平等社会ではなく対等社会であったと、
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3041.html


さらに、日本と言いますか東洋のすべてがそうなのですが、横社会ではなく縦社会であります。
目上の言うことを聞いて、しっかりとピラミッド型の組織を作ることが、日本の対等社会のもっとも基盤となるものです。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

現在読んでいる小学 (中国古典新書) (四書五経の「大学」を読む以前に、幼少の者が生き方の指針とした書)にもこのようにしっかりと書かれております。

「楊文公の家訓に曰く、童稚の学は記誦に止まらず。その良知良能を養うには、当(まさ)に先入の言を以って主と為すべし」 嘉言第五-2

良知良能とは、人が生まれながらにして備わった道徳的能力と知恵のこと。
先入の言とは、まっさらな心の状態において、いちばん先に刻まれる言葉のこと。


大人の私たちでさえ、何をもって善か悪か?わからない。
そのわからない大人が、はたして子供を教え諭すことが出来るでしょうか?

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

これから私は、何か子供のための仕事をしていきたい!

現代の大人の悩みを解決するすべは、たぶんありませんよ。
ほとんどが我欲や環境的苦痛を解消したいだけ。
それは自己努力の先にのみ存在するものですね。
それは私の役目ではないと、はっきり覚りました(笑)


夢千代

0 件のコメント:

コメントを投稿