2014年3月14日金曜日

あせらんでもええよ


まぁまぁ、そんなこわいかおせんと…

また今日から頑張ればいいがな(^○^)


夢千代

2014年3月13日木曜日

霧雨の降りそそぐ朝


細やかな雨がミスト(霧状)となって地球に降り注いでいます…

「…雨になっちゃいましたねぇ」

送迎の車の中で、運転されている地元の方にそう呼びかけると、
彼は、ちょっとむきになったようにしながら、

「恵みの雨ですね。畑の作物のためにはよかった」
とひとりごとのように応える。

ここは、都心部を離れた旅先、日本の田舎。

北に行っても、南に行っても、僕は不特定の“彼”と出会い、
何度“はっ”とさせられたことだろう。

「快適」とか、「不快」とか、
それは“自分側”から感じたひとつの“可能性”でしかなくって、

「好き」とか「嫌い」っていうやつも、
自然や植物たちから見たら、「私」とはもしかしたらまったく違う感覚を持っているのかも知れない。


夢千代

2014年3月12日水曜日

いいから思った通りにやってご覧よ。
正解か否かなんて、そんなこと考えないでさ。
どっちに転んだって、見えてくるのは自身のハートだけだよ。

人の顔色なんて気にしちゃいけないぜ。
今日も自分が本当に正しいと思ったことをして、精一杯生きるんだ。
人も、自分も、みんなひっくるめて大好きになれるような、私でいられるようにね。

2014年3月11日火曜日

3/11の投稿

3/11
今日は、あの日でしたね…
みんなのなかの何かが、壊れていった、きっかけだった。
皆さんの心と向き合う鑑定の仕事をさせていただいた私は、ここ横須賀のなかにいても、お客様たちの心がいつも以上に荒れていることに気がつきました。



3/11
14:46。黙祷を捧げましょうよ。
亡くなられた私たちの同胞のために。
そして、いまも希望を持って一生懸命に生きている、皆さんのために。
そして、誇りを忘れず、これからも歩き続けるあなたのために。。




夢千代

3/10の投稿

3/10
 
 
あの日とおなじ海を見ているはずなのに、あなたと見る今日の海は違っている。

 気がつけば、いつも微笑っている私がいる。

 硝子越しに目の前を通るおおきな船が、いつのまにかとても遠くへ、過ぎてゆくように、
つい昨日のことのような心の痛みも、忘れていることにふと気がつく。

いつかみたあの映画も、繰り返し読んでボロっちくなってしまったこの本も、
いまだって変わらずに大好きだけれど、
あんなに奪われることを怖れてあがいていた頃は、
ひとりぼっちで、とても窮屈で、太陽がきらいだった。

あのころとおなじまちのなかで暮らしながら、私は大人になったかなって、想う。

 何度も困らせたあなたの顔に刻まれた、目のよこにあるくしゃっとしたシワの数は、
わたしが犯した罪の記し。

そのシワの奥にある瞳は、何度でも私をゆるし、何度でも私を救ってきた。
「いつかきっと、あなたが自分の力で生きていけますように」

優しい瞳が、ほほ笑む。

私も強い人になろう。
夢千代

3/9の投稿

3/9
どんなにみじめな想いをしていても、とびっきり幸せなふりをしていればいい。
そうすれば神様はきっと、その笑顔にふさわしい本当の幸せを、わたしに与えてくれるから


3/9
「条件付きの受け入れ」なんて、そんな野暮なこと言っちゃあいけないぜ。
光も影もあって、それで人間さまなんダ。大人だったら、両方認めてあげなきゃさ。光で影を消そうとするから、「消されまい」って、余計寂しい心がまたひとつ増えるんだからさ。


夢千代

フェイスブック

10年使っていたPCが壊れてから、我が家のIT革命が起こったということは、すでにお話ししたとおりです。
あれから私もフェイスブックを始めることとなりました。

一週間程使ってみて思ったのは、このブログのように、個人の想いを伝える道具ではないのだな、と。使っていらっしゃる方は、みなさん、友達が欲しかったり、何か意図する欲求があるように思えます。

でも、大林宣彦監督も言ってらしていたけれど、発明とは、その時代にとって必要なものが形となって表れてくるのでしょう。
だから、私もこの時代を生きるものとして、遅ればせながら、続けてみようと思っています。

最近、フェイスブックのほうの更新ばかりして、こちらが留守になってしまっていたので、フェイスブックをやっていないけれど、このブログを読んでいただいている方のために、どちらでも私の記事が見れるようにしておきましょう。

記事を三つほど、過ぎてしまったものをこちらでも公開致します。


夢千代