2013年10月24日木曜日
人を育てる心
神社に行くと「まことの道」と書かれた短冊が、積み重ねて置かれており、ご自由に一枚づつお持ち下さい。と書かれている。発行は、神奈川神社庁。毎月出ているのか、「十月」と添えられている。
私自身にとっての覚書としても、そばに置いて置きたい言葉だから、ここに記しておこうと思う。
世の中に人を育つる心こそ
我をそだつる心なりけれ
荒木田守武『世中百首』
裏書もスッと腹に入る言葉だから、そのまま転載させていただきたいと思う。
「すべての物を生かし、伸ばすことが神道の産霊(むすび)の教えである。
そのためには“俺が、俺が”という“我”があったのでは、自他共に生成化育を阻害することになる。
共にすべてを生かすためには、無私・無欲であり、生かされて生きる道を知るべきである。
その意味で、この和歌は神道の二つの教を併せて説いたものとして、俚耳(りじ)に入り易い調べを持っている。即ち人を立てるものにして初めて人に立てられ、人を生かすものにして、初めて自分の生かされるのが、古今の真理である。
人を愛して愛される。同胞相愛についても、その順序はまず人を愛する所から始めるべきである。」
(神道文化会編『神道百言』より)
これは、現在の私の先生から学んだ「母性」に通ずるものである。
わかりづらかった、産霊(むすび)の意味も、これでようやく理解出来た。
実に神道らしい。強いては、わが国日本らしい、深く、簡素な、良き、教えである。
夢千代
2013年10月23日水曜日
何も変わらない
明け方、夢を見た。
新居にきて、二ヶ月が経った。
朝、いつものようにゴミだしに行こうとして目を覚ます。
大きなポリバケツのゴミのふたを開ける。
中には何も入っていない。
(あぁ、結局ここには何も捨てなかったんだな)
昨夜、祖父と祖母が何か言い合っていたことを思い出す。
周りを見渡すと、壁面の上から下まで、びっしりと綺麗に並べられた革靴がある。
レジのある方から、店の中を見渡すと、そこにはいつもの良く知った靴屋の光景があった。
(なんだ、何も変わらないじゃないか)
そう思い、ほっとする。
ふと目の前に、僕が持ってきたはずの古いそろばんが置かれていた。
(全部持ってきたと思っていたのに、まだ残ってたのか。こんなことなら、そのまま置いておけば良かったかな)
この場所があるなら、僕が持っていても意味のないもの。
でもそのそろばん、どこか形がおかしい。
僕が持ってきたそろばんは、五つ玉だが、そこにあるそろばんは、三つ玉!?である…。
五を数えるための珠が、上にひとつ。
一を数えるための珠が、下に、三つ…。
やけにそのそろばんだけが、意識の中にクローズアップされる。
なにかが、おかしい。
でも、それ以外は何も変わらない。
何等、変わるところはない。
それなのにそのそろばんだけが、非日常さを物語っていて…。
僕はようやく、これが「夢」なのだと感じる。
夢なのだと感じながら、確かに存在したこの日常の空間。
夢の最初にほんの少し登場した
じいちゃんやばあちゃんの心の心象風景だということを、
理解する。
古い家から、新しい家に持ってきたものは、五つ玉のそろばんだけ、じゃあない。
家の象徴である、仏壇もまた新しい我が家に越してきた。
これからもまだまだ健在である僕の両親に代わって、僕が仏壇を引き取ったのには訳がある。
毎日、いつものように僕が続けていた習慣を、そのまま続けさせてもらいたかった。
そう、みんなに頼んで、僕のわがままを聞いてもらった。
祖父母が暮らした心象風景。
その記憶とこの光景を、僕は辛うじておなじものを共有している。
現実の世界では、もう数年も前に変わってしまったはずなのだけれど、
明け方に見た夢の中では、
その世界こそが現実であって、
よく知った世界であって…。
そんな共通の心象風景を持ちつつ、
今(その後の未来)を生きながら経ている僕が、
すでに変わり身となってしまった祖父母に対して、手を合わせたら、
その心霊空間には、それぞれのどんな想いが交錯するのだろうか。。
今日も新しい一日がはじまる。
わが家のゴミボックスから取り出したゴミは、先ほど収集所へ置いてきた。
これから、仏壇の前に行き、今朝見た夢のことを祖父母に報告してみようと思う。
きっと喜んでくれるに違いない。そう思っている。
夢千代
2013年9月29日日曜日
灯篭の斧
蟷螂の斧という言葉がある。
蟷螂の斧(とうろうのおの)
《カマキリが前あしを上げて、大きな車の進行を止めようとする意から》弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえ。 goo辞書より
今まで知らなかったのだが、蟷螂と書いて、そのまま「カマキリ」と読むそうだ。
さて、石段を歩いていたら、カマキリがいた。
さほど大きくなく、茶色のカマキリである。
しかしカマキリのその姿とは、攻撃態勢ばりばりの姿に見える。
決して遠慮する様子など見られない。
僕は履いていたサンダルを、彼のシンボルであるその鎌(カマ)に近づけてみた。
…半分は、真剣に対峙し、半分は、愛着をもって対峙する。
果たして、彼はどうしたであろうか。
すると、、、
僕のサンダルにぶらさがってきた。
これはやられた。
まさか、こう来るとは想わなかった。
なんだかかわいくなって、そっと地面においてやった。
2013年9月25日水曜日
知る者たち…
分かり過ぎれば弱くなる。
分からなければ、平気でいられる。
「知らないから仕方ないこと」を許されようとする。
「知っているものに、聞けば良い」と安易に想う。
知ることは、苦しみ。
理解されぬ苦しみ。
知ってしまった苦しみ。
そんなことあるはずないと言われる苦しみ。
そんなもの見えるはずがないと言われる苦しみ。
無明は、苦しみ。
自分を知ろうとしない苦しみ。
これで良いと思う苦しみ。
人に頼らなければ、もの読めぬ苦しみ。
己知らぬ苦しみ。
人傷つけ続ける苦しみ。
「助けてください」は、
「私の代わりに苦しんでください」に他ならないことを知れ。
安易に聞くなかれ。
安易に語るなかれ。
安易に嘆くなかれ。
世を知れ。
学び続けよ。
智恵のまなこを開け。
光明なるものだけが知り、荒涼たる大地に風が吹きすさぶ。
分からぬ者は、分かったふりをして威張りちらし、親なる愛を分かってもらえぬ者が、肩を落としている。
そんな輩のなんと多いことよ。
夢千代
2013年9月9日月曜日
いま、想うこと
いまだから話せることって、あってね。
僕のこの二年半というのは、巨大な嵐の中に置かれた一艘の小舟のようでいて、必死で縁をつかまりながら、振り落とされないようにしているのがやっとだった。どんな言い分も、言い訳も通用せず、突然表れた魔人たちが目を見開きながら、大口を開けてにやにやと笑うような箇所を幾つも通過してきたように想います。
占いの個人鑑定を辞めた頃、やはり辞めるには辞める理由というものがあってね、占い師はただ事象を当てれば良いということではなくって、その人の時にはお父さんやお兄さん代わりになって、親身に話を聞いてあげることが、少なくありませんでした。
ところが、その人から発せられる愚痴や言い訳や、不安や心配などは、皆さんが想っている以上に、聞くものの健康を蝕んでゆきます。
いまはとてもじゃないけれど、そんな愚痴の温床になるようなことは出来なくてね、元々僕は占い師という称号が、どうしても好きになれなくて、それはなぜだかというと、師匠から占い師になるな魂の救済者たれと教えを受けたからでね、自分はずっと魂の救済者だと想って、鑑定を続けさせていただいたんです。現在はあの時の自分のような占い師は、ううん、これからもきっと現れないでしょうね。
それでも、いつも、いつでも、僕と皆さんのあいだには、越えられない壁のようなものがありました。こちらがこんなにも適切な、この方を表すキーワードを伝えることが出来たと想っても、その本人が真の自分を見ようとしていないから、ぽかんとしていることもあったりしてね。
自動販売機に100円入れて、自分の好きなジュースのボタンを押したら、それがポンとその場で出てくる。そんなのが好きだったら、神社に行っておみくじでもひいていればいいのにね。
皆さんにお送りした、個人鑑定終了のメッセージ。そして、紫微垣開設のお知らせ。
僕は、占いはあくまでも方便。占いという運命学の世界の入り口を通じて、人の生き方、命の大切さというのを説き続けてきたつもりだったのだけれど…、そう、おいでになる皆さんも、私の話を聞くのが好きだとおっしゃっていたから、紫微垣の開設にいたったのだけれど、いざふたを開けてみたら、今まではあれだけ頻繁に連絡のあった方々から、見事にぷいっと連絡が来なくなりましたね。
まさに、占いの切れ目は縁の切れ目。
悪いものをこちらに放るだけ放っておいて、では実際にあなた自身の器を大きくする学びを致しましょうとやったら、そんなことには興味ないのね。
私の恩師の丸山先生など「自分は奴隷だよ」などと、生前お話しされていましたけれども、その頃は何をおっしゃっているか分かりませんでしたね。でもいまは、私がやっていたのは、まさに皆さんのゴミ箱だったのだと、そのように思っております。都合の良い時だけ来て、散々自分が悪くないとだけ言って欲しくって、感謝とかありがとうなんていう言葉は、その場の潤滑油みたいなものでね、本音は、都合の良いゴミ箱だったと。そのことを知った時、自分はかなり深い心の傷。
人間というものが、いまはもうあまり信頼出来ないし、限界を知ってしまっているから、あまり好きではないですね。
私には、元々霊感があって、二年前に占いの個人鑑定を辞めた直後、たくさんの皆さんにお知らせしたはずの紫微垣のお問い合わせがほとんどないことに、とても寂しい想いをして、神様にお伺いを立てたことがあるんです。
その答えは、ビジョンで見せていただいたのですけれど、砂糖に群がる蟻の大群だったのですね。(そうか、お客様は「占い」という甘い餌をもらいに来た蟻だったのか)とそうしてはじめて納得したんです。
私から皆さんに連絡しなかったのは、ある一人の女性のお客様が原因で、一斉メールってありますよね。それをたまたま、その方のアドレスも伺っていたので、お知らせしたら「一斉ってなんですか!私のアドレスが他の人に知られてしまう。これって犯罪じゃないですか!私のデータは残らずシュレッダー処分にして、私のアドレスは完全に消してください」っていう怒りのメールが届きまして、その方がどんな性格のどんなお客様だったか、私は忘れてしまったんですけれど、この方もたぶん、他の方と同様、しっかりと面倒見てアドバイスして差し上げたと思いますが、それにも関わらず、そのような態度を取られたことに強くショックを受けましてね、それで皆さんにもメール差し上げるのが怖くなってしまったんですね。ええ、もちろん一斉メールの常識くらい分かっていますよ。代表は自分のアドレスに送って、すべてのお客様にお出ししたメールは、すべてBCCでお送りさせていただきました。「わかりました。でもそういうことでしたら、もう二度と連絡してこないでください」という方も幾人かいらっしゃいましたし、「今までありがとうございました」というメールはあっても、「これからもよろしくお願いします」というメールはほとんどありませんでした。
現、塾生番号一番の方は、違いました。
私があの長いメールをお送りして五分後に、「私のような者でも、紫微垣の入塾をご許可いただけますか?」とご返信いただきましたから、やはりこういったものは、ご縁だと思うのです。
現塾生の方たちとも、何度も疎遠になろうとしましたが、そのたびに、ちょっとしたことが原因で、またいらしていただいたりして、きちんと残る方は残っています。
中には、一度いらしていただいて、こちらも嬉しくてね。このままずっとご縁が続いていくかと思いきや、「家のことで…」「習い事が」「気に入らない人がいるから」って、本当にこちらががっかりするような理由で辞めていく人が何人もいたの。
人の幸せのあり方っていうのはね。確かに、様々な形があるんだけれど、僕が占い鑑定を通じて見てきた人たちをトータルしてみると、ほとんどが自分さえ良ければいいというね、「我良し」の人がとても多いですね。それでいて、やたらに「不幸」になることを怖がっている。そのくせ、努力はしたくない。人からは何か言われたくない。自分の好きなようにやりたい。
占い師から見れば(誰から見たってそうなのだけれど)、ほとんどが因果応報でね。蟻とキリギリスではないけれど、自分がその時にやらなかったから、いまこうなったんじゃないか。それを何十年分もの、怠惰な人生をご破算にして、たかだか30分か1時間の占いで、どうにかして欲しいって、これはあまりにも虫が良すぎる話しだなと思ったのね。
僕の考える幸せと、お客さんの考える幸せは、違う、と思ったときに、もう自分が占いで伝えられることはないなって思ったのね。真剣に話を聞いているこちらが馬鹿みたいだし。僕が人を救いたいと思っていたのは、一人でも多くの社会に益する人に自信を取り戻して欲しいからであって、わがままな人を正当化するために自分の命を削っていたのではないのね。結局は、その人そのものの生き方が変わらなければ、本当の幸せなんてつかめるわけがない。本当の幸せとは、足る心、思いやり、そして感謝ですよね。感謝なきものに、幸福感なんてあるはずがない。
餓鬼が良い例でしょ。
自分は何のお役目があるのだろう。社会のためになにが出来るのだろう。
占いは、あくまでも僕の伝えたいことの方便だった。その方便を続けていくには、数々の愚痴や悩みに耐えられる体力がない。もうゴミ箱にはなりたくない。これ以上続けたら、たぶん僕は半年も生きていないだろう。その代わり、世の中でいちばん必要で、現代の社会のなかで、いちばん欠落していると思われる、いちばん良い仕事をしているはずなのに、人が集まらない。人が去っていってしまう。自分はなんのために生きているのだろう。。
そんな話しをうちの奥さんとしていた時に、彼女はこう応えました。
「わかるなぁ。私もね、小さい頃、自分がなんのためにピアノ弾いているかって、正直わからなかった。自分が本当にピアノ好きかっていうと、実はそうでもないんだよね。同じ年齢の子供たちと上手くコミュニケーションが出来ないから、自分はそのぶん他の子よりも少しはピアノが上手いと思えるから、だから自信を持つために、みんなから注目されるために、弾いていたような気がする」って。
もっともそのあと、「でも、その後ピアノを続けていったら、私は本当にピアノが好きなんだって自覚したけれどね」とも言っていました。
そうそう、僕が中学の時に聞いた担任の先生の話なんですけれど、すでに高校生になったかつての先生の教え子がいたんですって。女の子で、とても足が早くって、高校のインターハイの代表に選ばれたんだけれども、TVのインタビューを受けて、その子が信じられないことを言ったっていうんですね。「足が早いということで、今期待のホープ。皆さんがあなたのことを注目していますが、インタビューさせてください。あなたは、なんのために走っているのですか?」彼女はこう応えました。「私は、自分がどうして走っているのか分からない。自分が、走ることが特別に好きなわけでもないのに、来る日も来る日も走っていて、なんだか馬鹿みたいだ」って。
20代の頃。僕はこんな詩を書いたことがあります。
「プロフェッショナルというのは、誰もが憧れる何かを極めたエキスパートだ。しかし、プロフェッショナルの嘆きというものは、すでに気がついた時には、それしか出来なくなっているという事実なのだ」と。
本来ならば、僕も生活のために占い師をやっているのだろうか?
個人鑑定を辞めた年、ある大手の会社から、ネットの番組のオファーをいただいたこともある。
しかし、もはや人を助けたいというあの渇望したような欲求が、自分の中から沸いてこなくなってしまった。みんな無視するなら無視すれば良い。苦しい時の神頼みだけしておいて、必要なくなったら、まったく連絡もよこさない。
以前、ある神社の白竜神の話をしたけれども、願いをかなえるだけかなえて、お礼もなく、神職の祈願もなく、ボロボロになって朽ちているあの龍体を見た時に、僕は、人間に対する怒りさえ感じたのね。この国を想い、世界を想い、先人たちの知恵を学び、子供たちの遠い未来を想うその気持ちを持たず、生まれては消えゆく水の泡のような人の心を見ているとね、もっと人間らしい人間と、もっと大きな愛や生き方について説きたくなるんですよね。 連絡をしても返信のないような、無礼な人はいくらそれが現代の流行だろうとなんだろうと関係ありませんね。いらしていただかなくて構いませんから。
夢千代
2013年5月7日火曜日
たんぽぽ
これもどこかから、風に乗ってやってきたのでしょう。
家のまわりをふらっと散歩していた時にね、彼の兄弟を見つけたの。
あぁ、やっぱりあるんだなって。
背の高いやつも。
本当は…、知っていたのかも知れないね。
かつて、見ていたかも知れない。
でもね、この年になって、初めて気が付かされることって…、あるよね。
この場所は、植物たちにとって快適な場所。
温かで、ちょうど良い日の光が、彼らを元気にしてくれる。
この高いたんぽぽも、「Max」かと思われた予想をはるかに超えて、
わくわくしてくるくらい、ここまで伸びてくれた。

上にばかり伸びることをおぼえて、
下がおぼつかない、軽い鉢植えだということを、彼は忘れているから、
よく、ひっくり返っていて、何度僕が起こしてあげたことだろう。
---その日は、めずらしくひっくり返ってなかった日だったの。
神棚の水を替えようと、ベランダの戸を開けたその刹那…
ばぁーっと風が吹いて、まるで解き放たれた白い風船のように、綿毛が飛んだのね。
僕は、もう綿毛が出来ていることも知らなかったから、びっくりしてしまって!
一度、たんぽぽから離れた綿毛は、もうここに戻ってくることはなくてね。
その時はまだ、綿毛同士かたまったままで、そこらへんをふわふわしていたんだけれど、
これから彼らは旅立って行くんだな、と思ったら、なんだか感傷的になってね。
みんなに見せた背の高いほうのこの写真も、すでに何日か前のものだけれども、
ついさっき見てみたら、
まだ少しだけお花が咲いていて、
強くてたくましくて元気で、
そいで相変わらず、ごろんとひっくり返っていたんだよ。
夢千代
2013年4月27日土曜日
11年ぶり海外訪問を決意させたオランダ新王妃からの直電
長い療養生活を送る雅子さまに久々の海外公務を決意させたのは、一本の国際電話だった。〈週刊朝日〉
「電話の主は、オランダのマキシマ妃でした。まもなく新国王に即位するアレキサンダー皇太子の妃です。マキシマ妃は『ぜひ4月30日の即位式においでいただきたい』と直接、雅子さまにお話しされたようです」(宮内庁関係者)
その言葉に背中を押され、11年ぶりの海外公務が実現したのだ。雅子さまは2006年8月、オランダ王室の招きで、皇太子さま、愛子さまと一緒にアペルドールンの離宮などで2週間、ご静養をされた経緯がある。
「『そのときの感謝をお伝えしたい』と雅子さまはおっしゃり、当時も同行した主治医の大野裕医師(精神科)に相談されたそうです。4月17日頃になってOKが出て、皇太子さまが電話で小町恭士東宮大夫に伝えたそうですが、そのお声は弾んでいたそうです」(同前)
4月24日(水)16時5分配信
このニュースを知った時、「とても素敵なお話しだな」と思いました。
雅子様の前回の海外公務は、愛子さまがお生まれになった1年後の2002年12月であったということですが、最近も何かと話題にのぼる皇室のお世継ぎの問題ですね。
ハーバード大卒の帰国子女で、元外交官であられる雅子妃殿下に、お世継ぎを最優先させる皇室という環境は、「酷」でこそあったのではないかと私達は思うのです。
紀子さまが悠仁さまを出産されるまで、雅子さまが軽井沢にある小和田家の別荘にひきこもってしまわれた時期もあったとのこと。
実のお母上と愛子さま、雅子さまの3人が別荘で過ごされ、思いつめた様子の皇太子さまが訪ねてくるといった状況であったそうです。
私は、「人の幸せとはなにか」ということをあらためて思います。
特に、こういった女性性や男性性のジェンダー(性的役割)については、深く疑問を感じるところです。
しかしながら、皇室といういわゆる特殊な世界について、いわゆる一般論が通用しないことも、存じ上げております。
美智子妃殿下など、皇室外の世界からはじめて嫁がれて、それでも様々な形式(乳母を使わず自分の手でお子様を育てるなど)を変えられたようですが、まだまだ…と申し上げるよりも、不変であることを良しとする神道に基づいた世界ゆえ、安易に「こうすれば良い」などと言及することが出来ないのが、そもそも皇室というものであるのです。
皇太子ご夫妻のご結婚が決まる際、皇太子殿下が雅子様に「私が全力でお守り致します」というあのプロポーズのお言葉が、それまで頑なに皇室入りを阻んでおられた雅子様の御心を一転させたことを思えば、今後の雅子様の心の問題(雅子様のそれまでのキャリアを活かせるようなお仕事への刷新等)や、第一子の皇太子妃にのみ、お世継ぎのご負担へのウェイトが掛からぬようなご配慮を皇室の様々な取り決めをされる皆様一丸となって、早急にこの問題に着手していただきたいと願うのは、私だけではないことと思います。
このように書くと、『女性天皇』についての議題が上がると思いますが、これについては意外に思われるかも知れませんが、私はNGなのです。
これは女性天皇様一代の問題ではなく、後の世につながっていく、いわゆるDNAの問題です。
詳しくは割愛しますが、男性性と女性性の明らかな違いというのは、染色体の問題に他なりません。
最近は、子供たちの本の中にもジェンダーによる差別を撤廃するような表記が書かれていますし、近年は、神社の宮司様にも女性宮司が増えていらっしゃいましたが、とても良い傾向と捉える反面、このことだけは、どうしても簡単に首を縦に振るわけには参りません。人間が考え出した性差による差別と、神が与えたもうたどうしても成さなければならない性的役割を、混同してはなりません。(このことについては、いずれ詳しくお話しするつもりです)
女性にしかできない事、男性にしかできない事、女性にも男性にもできる事、男性にも女性にもできる事、男性でなければならない事、女性でなければならない事…
だからこそ、雅子様御一人に精神的ご負担を掛けることを、私は「どうして?」と思う訳です。
難しい問題だからこそ、みんなで考えて雅子様の人生を活かせるような皇室にして欲しいと私は思う訳です。
…話しが思いがけない方向にいってしまいましたが、
オランダには現在、雅子さまがもっとも頼りにしているご両親が暮らしていらっしゃるとのこと。
お父上の小和田恒元外務事務次官は現在、同国ハーグにある国際司法裁判所の判事を務めていらっしゃるそうです。
雅子様にとって、このオランダご訪問が、ご自身の人生の意義を見出す第一歩となっていただけたら嬉しく思います。
夢千代
写真提供:The favorite world
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