2012年12月16日日曜日

共に前に進みましょう(衆院選について)


今日、選挙の開票結果が出ました。(衆院選および東京都知事選)

やっぱり、と言うか。仕方ないと、言うか。。


あの2009年(平成21年)の自民から民主への政権交代から、三年が経ちました。

この三年は、我が国にとって苦難の連続でした。
政権が再び自民党に還りゆくことで、延々と続いてきた一党独裁とも呼べる55年体制の復活を懸念する声もありますが、私は決してそうではないと思うわけです。

あの2009年の交代がなぜ起こったか?自民は、そのことをもう一度踏まえて、同じ繰り返しをすることなく、改革を行っていただきたいと思うし、民主は、外側から自民を強く責めて来た割には、知行一致とならなかったことを、この時において、認識したのではないかと思います。

こう考えれば、どちらが良いとかどちらが悪いとか言うものではなく、継続する体制に胡坐をかいていては、いつまた政権交代が起きるやも知れないという、緊張感の中での政治が、これでようやく整ったわけです。

そこにはいつも国民の目が光っているということ。

民主は、今回のことを踏まえて、ぜひ経験を積んでおいていただいて、今度、また自民に不祥事が起こるようであれば、今度こそ、しっかりとした体制を敷けるような準備を、しっかりとしておいて欲しいと思います。


先ほど、TVのニュースで速報を見たばかりで、最終的な投票率がどうなったのか、把握していないのですが、16時の時点で34%。

今回は、あらかじめ結果を予測していて、「どうせ自分一人が行かなくても」と、選挙を棄権した方が少なくないのではないかと思います。

特に先日までに聞いたところによると、20代の方の投票率が、10%未満という話もありました。
これは想像するに、近年の個人主義の確たるものであると思っています。
自分の人生に直接関係がなければ、あえて触れないでおこうという傾向がこのような投票率にも表れているように思えてなりません。

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個人的な想いで言えば、ここ最近の野田総理の言動が、実に風格を帯びてきていらしており、党内においても民主党離れが続く中、実にほれぼれするようなリーダー性を発揮していらしたことを、私はこの場において非常に高く評価させていただきたいと思うのです。
これは、一党への支持云々ではなく、あくまで総理個人に対しての想いであるということを、あえて述べさせていただきます。

特にそれを感じたのが、選挙広報のCMでのお姿。

(それを再確認したいばかりに、ネットを見たら、酷いことを言う人がいるものですね。選挙は、人気投票ではありません。あくまで、誠実さと本質をこそ、見抜いていただきたいと思います。このお顔こそが、日本という国を本気で背負っているリーダーだけが成りえる顔つきなのですよ)

これは直接選挙のことを指しているのではありませんが、「人を見る目がない」と思われる方は、今の野田総理のお顔を一度しっかりと見ていただきたいと思いますね。

そのようなことから、私個人的には、民主で何人か総理が交代しましたが、彼は唯一、評価出来る方ですね。
CMをご存じない方には、文字で起こしてみましたので、その言葉だけでも、参考になさってみてください。そして、どこが政権を取ろうが、問題は山積みだという認識を私たちは決して忘れないようにしましょう。


『その一』
野田佳彦です。
この国の総理に就任して一年余り。
分かったことが一つあります。
結局、大事なことは「決めること」でした。
【自分で責任を負って決断する】
そのことだけで、物事は大きく動き出します。
日本の国のことも、人生のことも動かすのは、決断です。
今と未来への責任。

『その二』
野田佳彦です。
国論を二分するような大きな課題に、
私は逃げずにぶれずに、真正面から立ち向かいます。
【失われた20年は、決められなかった20年です】
このままの日本を、子供や孫たちに胸を張って残せるでしょうか?
やりましょうよ。前へ進みましょうよ。
動かすのは、決断です。

                                          画像:EyesPic

夢千代

2012年12月8日土曜日

歌舞伎俳優「中村勘三郎」の死について想う

先日5日亡くなられた、歌舞伎役者の中村勘三郎さんについて一言。

歌舞伎という世界は、遠いようで近く、近いようで遠いというのが、僕の中の正直な認識でありました。

どこか、お高くとまっているように思えながら、そういった概念を、覚られたかのように、あらゆるジャンルから、ポンと全然別のものを、目の前に出されたのが勘三郎さんでした。

それまでは、歌舞伎に興味の無い人が、勘三郎さんに興味を持って、歌舞伎座に足を運ぶようになった方、結構いらっしゃるはずです。

市川猿之助さんのスーパー歌舞伎もそうですが、現代は、かつてのものをそのままやっていたのでは、人は集まりません。

それにプライドを持って、そこから動けないようでは、いけないと私は想うのです。

エンターティナーとは、現代に生きる人々が、楽しむためのもの。

それに対して、過去より綿々と続いているいわばクラシックの世界が、その品位を失わずにどのように、今の人の心にその面白さを見せ付けるかの見本のような存在でしたね。

歌舞伎と言えば、6代目尾上菊五郎さんの辞世の句「まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで」が好きなんですが、自分の生きる道をひと筋に生きる姿、愛しぬく姿というものは、美しいものですね。

一人の存在が失われても、伝統はこれからも守られていくことでしょう。


寺千代

2012年11月15日木曜日

森光子さんは、日本を代表する女優さんでした



  森光子さんと言えば、私たち世代にとって、最もなじみの深い女優さんの一人でした。

  みんなのお母さんといったイメージの強い、日本の母の謙虚さと芯の強さと、ユーモアをも兼ね備えた、人としても尊敬出来る、大変存在感のある方でした。

  下記は、放浪記の舞台千秋楽、2017回終焉後の特別カーテンコールでの言葉を、当時の動画から私が起こしたものです。

     今日でこの役を、この役からさよならするとは、思っておりません、まだ。
    思えません。
 今日はもう夢みたいな、本当に、あの、現実ではないようにまだ思えます。
こんな幸せな思いをさせていただいて、本当にうれしいと思います。
      これは、毎回同じ芝居も、何度もご覧くださっているお客様皆様が、
    ご一緒に作ってくださった芝居だと思います。
  日本が素敵な国であることは、みなさん御存じでしょうけれど、
これからもみんなでいい国を支えていけるような人になりたいと思っております。
 私も、これからも、もちろん、引退なんか致しません。
  ぜひ私たちもそして若い方も一緒になって、いい国に作っていきたいと思っております。
  なんか偉そうに…言っておりますけれども、決して選挙に出るつもりはございません。
  本当に、本日はありがとう存じました。
       (この一時間前に、国民栄誉賞が正式に授与されることが決まりました)

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  森光子さん死去と同日同面。新聞の一面に、「衆院あす解散」との見出しが掲載されました。

  私も皆さんも、この国を一緒になって支えている一人です。
 
  私は私らしく、皆さんは皆さんらしく、この国に生まれた誇りを持って生きていきたい。


夢千代

2012年11月1日木曜日

母なる想い


昨日、ある方のお母様から電話がありました。

一年半前に辞めてしまった以前の、私の占いのお客様でね、本当に久しぶりのお電話で、一瞬ためらったのですが、受話ボタンを押して「こんにちは」と言いました。

 ある方とは、奥様とお子さんを残して失踪されてしまった方のことでね、ご本人もお母様も、何度か鑑定させていただいたのですが、ある日突然失踪されてしまたのです。


 仕事場で何かあったのか、「先生、私はうつ病になってしまいました」とのメールをいただいたことがありました。
 ところがうつ病だけではなかった。失踪してからも、二度ほどメールをいただいたので、とても言葉に気を付けながら、「ご家族に連絡して差し上げてください」とご返信したのですが、その言葉をまともに受け取っていただくことが出来ず、また音信不通になってしまいました。


 失踪してから、もう三年にもなるでしょうか?

 ご本人は、私よりも10歳も年長の方ですから、お母様といえばかなりのお年になります。

 そのお母様が、私にあった電話の内容というのはこうでした。

「あの、私は最近、息子に何度連絡をしてもつながらないので、もう番号を変えてしまったと思っていたんですけど、メールを送ったら『あちらに届きました』というメッセージが出るんですよ。それでこちらからは届いているかと思って、毎日メールを送っているんですけど、これって息子に届いているんでしょうか?」


 私は、このお母様が不憫でなりませんでした。

 もちろん、失踪されたご本人にも、出てこれない事情というものがおありでしょう。

 ただ、私は、一人の人間として、このお母様の息子さんを想う一途な気持ちを、黙って見ていられませんでした。
 以前のアドレスを引っ張り出して、ご本人にメールをしてみたんですけれど、デーモンメールで戻ってきてしまう。それをまたお母様に電話してお伝えすると、「Eメールじゃなく、番号で送れるやつです」っておっしゃるから、「わかりました」って、またショートメールをご本人に送りました。

 本当は、ショートメールって好きじゃないんです。要件のみならず、意思を伝えるには、たった数十文字は短すぎますから。それでも、三通に振り分けて、送ってみました。もしかしたら、通じないかもしれない。もしかしたら、他の方の番号でご迷惑になってしまったかも知れない。でも、お母様のたんたんとした無心に息子さんのことを思う気持ちに、人として動かずにはいられなかったのです。


夢千代
                                 画像提供:写真素材館

2012年10月31日水曜日

無為不待(むいふたい)

 毎日、自分が水を与える役目を請け負うことで、花を愛でる気持ちが自然と湧いてくる。

 この大輪の白菊の花々も、それに応えるように、いつまでも美しく咲き誇っている。


 もの言わぬ花たちは、人を疑うことを知らない。

 人を陥れることもないし、人の心を傷つけ、自分勝手な意見をすることもない。


 私がもし花たちに水をやらなければ、彼らはただ時間を経て枯れていくだけだ。

 今でも少しづつ枯れ始めてはいるけれど、私の目には見えない中のほうを枯らすばかりで、命ある限り、彼女たちはただただ懸命に、行きつづけようとする。


 あいだみつをさんの書に、『無為不待』と書かれた一編の詩があったことを思い出す。

 無為不待とは、仏教の言葉で、「誰の目にもとまらず、誰にも知られることなく、ひっそりと咲いて、ひっそりと一人死んでいく、崖の途中に咲いているような花のことを意味する」のだということをその詩によってはじめて知った。


 
この大輪の白菊の花々も、私が水をやることがなければ、きっと誰も世話をするものがなく、それでも命のあらん限り咲き続けて、やがて枯れていくのだろうなと思ったとき、花の、儚くも強く美しい生きざまを感じ、またいっそう愛でる存在となるのである。


 …人はなぜこのように生きられないのであろう

 人はなぜ、ただ生きようとするものに、生きる条件をつけなければならないのだろう。

 人はなぜ、美しく咲いている花を、わざわざ手折って、自分のものにしてその花の寿命を縮めることをするのだろう。

誰のために生きるのでもない
誰かに愛されることを望むこともない


いっそ、そのような心を持てたら、いいのに。。


夢千代
                                       写真 淀屋橋心理療法センター

2012年10月12日金曜日

地震にご用心


先ほど、千葉県東北部において、震度4の地震がありました。

私は、2011年が始まる頃に、暦を観ながら、いったい何が起きるのだろうと思っていた配置が、その年の三月でした。

私の運営する私塾「紫微垣」の生徒さんから、今年、また何か起きるとしたら、いつごろですか?という質問を何度か受けました。


もし、昨年程ではないにしろ、再び大きな揺れがくるのだとしたら、私は今月だと思っています。

場所は、先ほど震源地となった所と、さほど遠くないような気がします。
もう少し、北の方も注意が必要ではないかと思います。

「予言は、当てることが目的ではなく、出した瞬間に流れて外れるのだ」と言われていますから、私もそんな気持ちを込めて--。

何か起きる前にこそ、心をしっかりと強く持って生きていきましょう。
私たちは、良い時も悪い時も、良い人間であらねばなりません。

「備えあれば、憂いなし」です。


夢千代

2012年9月10日月曜日

幸せってなんだっけ

                                                     写真提供:沖縄の無料写真素材館

 最近、あまりTVを観ないんですけど、たまたまつけたNHKのドラマ10 つるかめ助産院~南の島から(第二回)良かったですね。

 今、世の中で何が大切かって、幸せの価値観というか、まったく分からなくなってしまっている時代でね、ある方からいただいたメールを見ていた時に、幸せはお金だと言い張るその内容に、それは違うよ、お金なんて幸せの順番から言えば、4番目か5番目だって。そんなことを返したんですけれど、なんだか虚しくてね…

「幸せの価値観は人それぞれ違います」という言い張る彼女のことをずっと考えていたら、僕が鑑定で会ったお客様、確かにそういう方多かったなって。
 ずっと幸せは、目に見えるものじゃない。昔と今は違うんだろうか?たとえ周囲がその人に振り回されてしまうことがあったとしても、その人の幸せだというその欲求を、果たしてやることが、本当に正しいことなんだろうか、そう思っていました。

 僕の奥さんと、幸せとは何か?ということについて、これまでも、ずっとずっと話してきたけれど、僕だって少しはお金が人を幸せにするんじゃないかという気持ちが、正直あったんです。
でもね、奥さんは幸せはお金じゃないって言うの。何度聴いても、そうじゃないって。

 それじゃあ、君は何が幸せなんだと思うと聞いたら、「命」だと言うのね。

 僕は、「愛」だと思うと言った。

 幸せは、愛があってこそ、幸せになれると思っている。僕の言う愛というのは、SEXの快楽で一時、現実を忘れて夢見ているような愛じゃなくってね、どんなことがあっても、決して見捨てない、思いやりを持ってその人を受け止めるいつまでも変わらない心のことでね、やはり僕と奥さんの幸せの原点は、「目に見えないもの」なんですね。

 でも、世の中たくさんの目に見えるものが、ちりばめられていて、それを消費することによって、社会が廻っているから、物事の善悪も、幸せの価値観も物質的なもの中心になっていくんだけれど、お金がない人には、決して幸せな世の中ではないのね。その大いなる矛盾の中にいるとね、やっぱりお金なんだろうかってついついそう思っちゃうのね。

 ただ、お金を求めている人の共通点って、どこか刹那的でね、今が良ければそれでいいという。僕みたいに、死後の世界をずっと意識せざるを得ないような環境にいた人間にとっては、なんだか虚しくなってくる。死んだらお金なんて使えないものね。老後にお金を持っていても、孤独でどうしようもない老人だって、どれほどいることでしょう。


 大切なものは、命だと言いました。
 大切なものは、愛なのだと。


 今日、第二回目のつるかめ助産院は、まさにこの命と愛がテーマでした。
 生まれてくる命。それを人間の身勝手な、ご都合で、無きものにしようとする行為。
赤ちゃんを誕生させることが、赤ちゃんを授かった女性の、今の不幸になるから、
それを無きものとします…

 そんな幸せや、そんな自由がまかりとおるのだとしたら、
 これは「幸せの価値観」などと言っていられない。

 人を無きものにしたり、人の不幸の上でなければ確立しない個人の幸せなど、
 傲慢以外の何物でもありません。

 主人公である赤ちゃんを授かった女性と、相談を受けた助産師のそれぞれの葛藤と選択が、
実に人間らしい。僕の良く知っている、見ていて安心する「物語」でした。
 こういう世の中だからこそ、こういうドラマをこれからも、忘れずに、たくさんやって欲しいと思っています。

 沖縄の海もきれいでした。
 人々の瞳や、助け合う心たちも美しい。
 そんな人たちと食べる沖縄の食卓は、さぞかし美味しい食事となることでしょう。


  赤ちゃんを授かった女性は、仲里依紗が演じています。「時をかける少女」に出ていた頃と変わらず、嬉しかった。
 誰かに似てきたなと思ったら、若い頃の中嶋朋子さんにそっくり。

 ちゅらさんに出て来たおばぁ(平良とみさん)やゴリもちょこっと出ていたことも、嬉しかったです。


夢千代